「葉っぱのフレディ」 名作絵本の隠されたテーマとは?

どうも、三尺です!

「葉っぱのフレディ」という絵本をご存知でしょうか?

アメリカの教育学者であるレオ・ブスカーリアが1982年に発表した絵本です。

日本語訳版は1985年に発売され、110万部のベストセラーとなっています。

実は全く知りませんでしたが、糞尿愛好家のミドリさん(@midomidoxxxx)のとある記事で知りました。

あまり絵本を読まない自分ですが、なんかビビッと来るものがあったので、amazonで購入して読みました。

結論から言えばビビッと来た感覚は正解だったようですw

これから、この絵本の考察を語りますが、もし内容に興味があり、ネタバレを好まないのであれば、まず絵本をご覧になった方が良いかと思います。

…と前置きして。それでは始めます。

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あらすじ

「葉っぱのフレディ」は「いのち」と「死」について考えるお話です。

先に紹介したページのあらすじを引用します。

大きな木の太い枝に生まれた、葉っぱのフレディのおはなし。

春に生まれたフレディは、数えきれないほどの葉っぱにとりまかれていました。はじめは、葉っぱはどれも自分と同じ形をしていると思っていましたが、やがてひとつとして同じ葉っぱはないことに気がつきます。

フレディは親友で物知りのダニエルから、いろいろなことを教わります。自分達が木の葉っぱだということ、めぐりめぐる季節のこと...

(中略)

そして冬。とうとう葉っぱが死ぬときがきます。死ぬとはどういうことなのか...ダニエルはフレディに、いのちについて説きます。「いつかは死ぬさ。でも”いのち”は永遠に生きているのだよ。」

フレディは自分が生きてきた意味について考えます。「ねえダニエル。ぼくは生まれてきてよかったのだろうか。」

そして最後の葉っぱとなったフレディは、地面に降り、ねむりにつきます。

絵本の内容は、どちらかと言えば暗く、眼をそむけたくなる人が多い内容です。



作者レオ・ブスカーリア

作者はどんな人なんでしょう?wikiで調べてみました。

レオ・ブスカーリア(Leo F Buscaglia)は、公立学校教師時代は主に学習障害の子供を担当しながら大学院にも在籍し、教育学の博士号を取得した後に母校で教鞭を取りますが、教え子の自殺という事件に遭遇します。

以後は命の教育、命のかけがえのなさ、人を愛する事に関心を抱くようになり、様々な著書を世に送り出します。

僕の拙い認識では、西洋の方は「死」について語りたがらない印象でした。

しかも、これは子供向けの絵本です。

アメリカと言えば、アメリカンドリームを夢見るような絵本ばかりなイメージですが、「死」という正反対の題材を取り上げたのも不思議でした。

これで売れるの?

教え子が自殺したのであれば、「死ぬなんてとんでもない!」とか、その原因となった物・人を訴訟するとか思いますよね。

さて、語ります。

この話の流れをざっくり言ってしまえば、春に生まれた葉っぱのフレディ達が冬には枯れ葉となって散ってしまいますが、枯れ葉達は雪解け水にまじり、木を育てる力となる、となります。

その流れが「いのちの旅」「いのちのつながり」というテーマになっています。

最初に読み終わった後、仏教で言うところの輪廻転生をテーマにしてるのかな?と思いました。

でも、これ作者の名前からすると西洋の人だよなぁ…と不思議な感じになりましたが、別に仏教徒オリジナルの思考でもあるまいし、色んな人が同じような事を考えるのはあり得る事だよな、と自己解決。

次に思ったのは、「死」の扱い方。

「死は無慈悲にやってくる」と言う事。

無慈悲です。圧倒的な力であり、冷酷で非道な物です。受け入れるしかないんです。

誰だって好き好んで死にたくは無いです。きっと痛いし苦しいし。

ですが、作中でフレディの友達ダニエルは

「変化するって自然なことなんだ。(中略)死ぬというのも 変わることの一つなのだよ。」

「死」を当たり前の物として受け入れます。

でも、これ、読み手の気分次第では軽く絶望しますよね。

ヨメと子供に見せて良い物か悩みました。…と言うか、まだ読ませていません。

人間である以上、必ず「死」はやってきます。

それを恐れて目をそむけるのは愚かであり、いつか突然「死」を迎えた時に後悔しないように日々の生活を全うすべきである、と思うのですが、そういうのは自発的に思ってほしい。そして矛盾しますが、それと違う意見を聞いてみたい。

なので、物騒な考えかもしれませんが、我々家族、または近親の誰かに「死」が訪れた時に見せたいと思っています。

隠されたテーマ

さらに余談ですが、ずっとモヤモヤしていた感情があるんです。

「いのち」と「死」だけの非情な話が何故ここまで指示されているのか?

もっと救いのあるテーマは無いのだろうか?と。

鬱鬱と答えを模索していたところ、レオ・ブスカーリアのwikiの中に答えを見つけました。

彼は日常生活の中でのさまざまなストレスを克服するために社会的な人と人との絆が最も大切であるといい、その絆の中核的なものこそであるという。愛こそ世界の共通語だというのが、彼の信念である。

そう「愛」です。著者は「愛」こそ共通語として、この話にも取り入れています。

ですが、ここが曲者なのです。愛というキーワードはとても難解で特殊なのです。

正直言うと、僕はこの言葉の意味が分からないので使いたくないのです。

英語で言うと、「LOVE」ですが、これを正しく表す事のできる日本語はありません。

その理由を以下に述べます。

まず、LOVEは英語ですが、その語源は古代ギリシャ語です。

しかも、語源となる言葉は1つでは無く、次の4つの概念があります。

エロス(eros)男女間の恋愛

フィリア(philia)友人間の友愛

ストルゲー(storge)家族愛

アガペー(agape)神の無限なる無償の愛

これらが英語で翻訳された時、全部似たような物だし、まとめても良いよねって事でLOVEになりました。と言う説があります。

次に「LOVE」が日本に上陸した時の話です。

宣教師は、「LOVE」を日本語に訳す時「慈悲(じひ)」と言う言葉にしようと思いましたが、既に仏教用語で使用されているため、「愛」にしたと言う説があります。

慈悲という言葉は、「情け」「哀れみ」などの意味がありますが、元々はサンスクリット語を語源としており、あらゆる人々に平等に友情を持つ事を意味します。

先に僕は「死は無慈悲に当然の物としてやってくる」と述べました。

「愛」は「慈悲」であり、「死」は「無慈悲」なんですね。

この意味を知った時、僕の頭の中でずっとモヤモヤしていた歯車が「カチッ」と繋がりました。

この2つの言葉は始まりと終わりで繋がってるのでは無いかと。

「いのち」が始まり、「愛(慈悲)」で人と繋がり、「死(無慈悲)」で別れ、また「いのち」へ繋がっていくのかな、と。

これは輪廻とは少し異なります。

輪廻は非情なシステムとして機能している物であり、愛が入り込む余地はありません。

作者は、ここに隠されたテーマとして「愛」を取り入れ、無意識のうちに「いのち」と「死」を考える構成にしているのではないか、と僕は結論付けました。

作中で、ダニエルはたくさんの言葉を伝えた後、フレディより先に散ってしまいます。

「さようなら フレディ」

ダニエルは満足そうなほほえみを浮かべ ゆっくり 静かに いなくなりました。

ダニエルは自分の「死」を受け入れた時に、何故「満足そうなほほえみを浮かべ」たのでしょうか。

そこに、作者が伝えたかった隠しテーマがあると思うのです。

そして、ここは人間と言う物にどのような感情・希望を持っているかで分かれますが、僕は「愛おしい」という単語が浮かびました。

愛おしいは、「可愛らしい」と言う意味ばかりではありません。

「可哀そうだ」「辛い」等のネガティブな意味もあります。

でも、表面的な意味は「可愛らしい」なんです。

多分、自分が死を迎える時、こんな感情が去来するのかな、と思いました。

そして、そうなる様に日々大切な人と接する事が大事なのかな、と思いました。

「愛」を相手に伝えるのは難解ですね…。

「愛してる」って言うのは簡単だし、言われると嬉しいのは分かりますが。

最後に

絵本の紹介なのか、自分語りなのか、まとまらなくなりましたのでここらへんで。

こんな偏屈な理論に付き合って頂いた事に感謝です。

もし興味を持たれましたらamazonで激安で購入できますので、一読の後、感想を頂ければ幸甚でございます。

御精読ありがとうございました。


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